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カルテの余白

エピソード3
LTTプログラム委員 尾野精一先生

100通もの手紙を書いたAKさん

100通もの手紙を書いたAKさん 私の患者さんのなかに、パソコンを使って、多くの人とコミュニケーションをとり、100通近い手紙やメールのやりとりをした患者さんがいました。
 その手紙は、家族や友人、あるいは私達医療スタッフに向けて書かれたもので、ご自分の気持ちや考えを素直に表現しています。
 内容は病気を苦にした悲観的なものではなく、周囲の人達に対して思いやりにあふれたものでした。病気の進行とともに、一通の手紙を書き上げるのにもかなりの時間がかかったようですが、それでもご自分の気持ちを伝えたいという一心でやりとげたそうです。
 病気を受け入れて最期まで尊厳と自立を保ち、前向きに生きられたAKさん。
 AKさんが書かれた手紙のなかからその一部をご紹介します。

AKさんから友人Tさんへの手紙

 コンピュータの“パソパル”を購入したAKさんが、操作上の設定ミスでうまく操作できずに困っていたとき、コンピュータに詳しい友人Tさんが見事に設定しなおしてくれました。この手紙は、コンピュータがうまく作動するようになったことの報告とお礼の手紙です。

1997年5月21日(発症して約2年後)

親愛なるTさん
 日ごろTさんが示してくださる、わたしや家族に対するご親切ありがとうございます。特にパソコンに関しては、並々ならぬご援助をいただき心から感謝しております。
 パソパルを市からの助成を受けて購入しましたが、あのまま使用したときのことを考えるとゾッとします。プリンターにせよ、そのほかのことにせよ、担当者でさえわからない問題をTさんは解決してくださいました。…(中略)…大変なご苦労だったでしょうし、貴重な休日をつぶしてしまい本当に申し訳なく思っています。と同時に、ただただ感謝を申し上げます。
 こうしたTさんのご努力のおかげで、いまでは集会で挨拶や感謝の言葉を述べたりしてよろこびを味わっています。
 Tさんのご親切によって、妻もこれまでワープロさえ手にしなかったのに、いまではパソコンの立ち上げ、電源切りはもとより、「わたしにも少しいじれるかな」と言うまでになりました。Tさんのおかげです。感謝しています。ありがとうございました。

尾野先生からのコメント

 AKさんがALSを発症した後、2年余りが経過して徐々に話しづらくなってきたとき、コンピュータを購入しました。AKさんにとって、家族との会話、あるいは友人への手紙に、自分の意思を表現できるコンピュータはなくてはならないものでした。AKさんは、昼間はできるだけ起きて生活し、コンピュータに向かう毎日でした。からだが動かなくなっても普段と変わらない生活をする姿勢は前向きで、とても印象的でした。

AKさんから家族への手紙

 AKさんの家族に宛てた手紙からは、父親として、また夫として、家族を常に気遣っていた様子が伝わってきます。以下の手紙は、息子さんと奥様に宛てたものです。

1997年11月7日

親切でよく気がつき勤勉な息子へ
 よい特質をうんと伸ばすように。
 ところで、昨夜はどこへ行って何をしてたんだ? 誰の許可を得て出かけたんだ? なぜ遅くなるのに連絡を入れなかったんだ?…(中略)…
 君は未成年であって、まだ親の保護下にあることを忘れないように。これからしばらくの間、夜遅くなる外出は慎むように。そして、誰とどこへ行って何をして、何時ごろ帰れるかを、お母さんに言って同意を得てから行くように。…(中略)…
 以上厳しいかも知れないけど、親ぐらいしかこうしたきつい助言はしてくれないぞ。お父さんがこのような手紙を書かなくてもすむように、よく考えてがんばってほしい。頼むぞ!

1998年4月27日

お母さん
 寝起きの腰の痛みがつらそうだね? お尻はもう痛まないのかい?
 ところでお母さん、今はからだを直すことが大切だと思うよ。せっかく早く病院に行ったのだから、早くに連続して通院し治しなさい。だんだん治りにくくなるし、しまいには治らなくなるよ。
 お母さんの大変なときなのだから、留守番は子供達にさせて、昼の時間帯に病院へ行くといいよ。…(中略)…
 少しは休めたかい? 疲れさせてごめんね。疲れてるところを、いろいろすまないね。ありがとう。
 感謝は素直に受け取ってほしい。そうしないと、だんだん感謝が言えなくなる。面倒がらずに文字盤を持って、お父さんの大切な意思(感謝)の伝達手段だから。 ありがとう。

1998年4月28日

昼夜を問わず世話をしてくれる親切な息子へ
 君もいよいよ二十歳(はたち)だね。おめでとう! 待ちに待った二十歳の気分はどうかな?…(中略)…
 二十歳になった君と一緒に酒を飲みたかったけど、それができずに残念だ。…(中略)…
 お父さんの経験から、酒が出ると思える所には、車に乗って行かないこと。たとえコップ一杯のビールでも、飲んだら絶対に運転しないように。これらのことは身の守りとなるので、覚えておくといいよ。 お父さんより

尾野先生からのコメント

 こうしてAKさんは、ときには息子さんを厳しく叱ったり温かく励ますことばを、また奥様の苦労をねぎらう言葉をパソコンに打ち込みました。
症状が進んでくると、コミュニケーションをとることがむずかしくなります。AKさんの場合、パソコンという強い味方を得たお陰でコミュニケーションを取り続けることができました。意思を伝達できるということは、患者さんにとって非常に大きな喜びであると思います。

~人間としての威厳を保って生きたいと願う~

AKさんから奥様への手紙

 AKさんがALSを発症して2年余りが経過して、話すことが周囲の人に理解できなくなり、さらに自分で呼吸することも困難になりました。そこで、人工呼吸器のことをお話しし、ご家族と一緒に話し合うことをすすめたところ、奥様に宛てて次のようなお手紙を書かれました。

1997年7月27日

お母さんへ 
気管切開と人工呼吸器について

 …(前略)…
 気管切開についてだけど、これについては手術を受けようと思う。ただし時期をできるだけ遅くしてもらえるようにお願いしたいと思う。
 気管切開をすると吸引も頻繁になるし、やり方も面倒になって大変だし、日常の管理もあってますます手を煩わせてしまうことになると思う。…(中略)…
 人工呼吸器については、前にも決定したことだけど、その決定のとおり人工呼吸器はつけないということでお願いしたいと思う。
 いろいろと考え、そして決して命を軽く見たり粗末にするわけではないけど、どうも人工呼吸器を付けて生きるということに不安があったり、どうしても生きるんだという気持ちにならない。もちろんその状態でしっかり生きていく自信もないんだ。
 ただ、お母さんといつまでも一緒にいたいし、一緒にいてあげたいと思うんだけど、それができないのが本当に申し訳ないし、とても辛いんだ。勘弁してもらえないかな。
 今の状態で生活しているのもかなり大変なんだ。…(中略)…
 何よりも自分の体がきついんだ。このような理由で人工呼吸器は装着しないこととしたい。…(後略)…お母さんはどう思うかも聞かせて。 お父さんより

AKさんから私への手紙

1997年7月28日

尾野先生
 …(前略)…
 さて先日の気管切開のことですが、種々考えました。そして、手術は受けることとし、この件に関しての一切を尾野先生にお任せしお願いしたいと思うのですが、面倒をみていただけるでしょうか? ただ、手術の時期については、できれば遅くしていただきたいという希望がありますがどうでしょうか?
 さらに、人工呼吸器については、以前の決定のとおり付けない方針でいきたいと思 います。以上、よろしくお願いいたします。

尾野先生からのコメント

 AKさんは比較的痰が少ないほうでした。しかし、呼吸がだんだん困難になってくるので、私はAKさんに気管切開の長所と短所をくわしく説明しました。AKさんは最初は人工呼吸器はつけないが、気管切開*はする意志表示をしていました。
 しかし、その後、さらに症状が進行してきたので、ご家族に「人工呼吸器をつけないと、約半年の余命です。もう一度患者さんを含めて家族で話し合ってください」と改めて話しましたところ、AKさんは次のような決定をされたのです。
*気管切開と人工呼吸器の装着について
・気管切開をしてカニューレを付けても、すぐに人工呼吸器を装着するとは限らない。
・気管切開の目的――痰を吸引しやすくするため。痰が飲みこみにくくなり、のどで「ゴロゴロ」と音がするほどたまったり、ことばがほとんど聴き取れなくなったら、患者さんの意志により気管切開をする場合がある。
・気管切開の長所――のどの痰を吸引しやすくして、患者さんの不快感を解消し、さらに誤嚥を防ぐ。多少、呼吸しやすくなる。
・気管切開の短所――声が出なくなる。また、救急車で緊急入院したとき、本人の意志表示ができなくても、すぐに人工呼吸器を装着される場合がある。
・人工呼吸器を付けずに、気管切開だけで最後まで通した患者さんもいる。

1998年2月19日

尾野先生
   いつも親切な往診をありがとうございます。
 先生のお気遣いに心から感謝しております。また、先日の入院の際にもお世話になりありがとうございました。
 昨年9月に先生の承諾をいただき、そのままになっておりました気管切開手術を、もう一度考え直してみる件ですが、その後いろいろと考えてみました。そして、つぎのように結論を出しましたので、よろしくお願いいたします。
 「気管切開手術はしない。このために気管閉塞などが起こり死亡という事態になったとしてもよしとする…(後略)」こととしました。
 いままで気管切開をしないできました。いまでは、「アー」とか「ウー」とかしか声が出ませんが、それでもおかげで声を失わずにすんでいます。また痛い思いもしないですみました。…(中略)…
 できるなら痛みやわずらわしさを避けたいと願います。 それに入院もできる限りしたくありません。…(中略)…
 このような理由で気管切開手術をしないことと決めましたので、何度もわずらわしさをおかけしましてまことに申し訳ございませんが、何卒ご理解いただけますようお願い申し上げます。

尾野先生からのコメント

 私は、AKさんの意志を尊重し、人工呼吸器装着も気管切開もしないことにしました。AKさんは、私が97年5月に勧めた呼吸筋のトレーニング器具**を使って、少しずつ訓練をしていましたが、亡くなる4ヶ月前でも呼吸筋トレーニングを続け、最期まで自力呼吸でがんばられました。
 AKさんは、ご自分の希望どおり、人間としての威厳を保ち、希望を持って前向きに生きられ、1998年11月家族全員に見守られながら4年5ヶ月の闘病生活を静かに閉じられました。
**呼吸筋トレーニング器具について
・一般には「呼吸筋力計」と呼ばれ、呼吸器疾患(肺気腫、慢性閉塞性肺疾患など)の患者さんに対して、 呼吸筋のトレーニングとして欧米で使われている。
・本来は、呼吸筋の能力を計るものだが、測定時の深呼吸を数回行うことで呼吸筋のトレーニングが可能となる。