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カルテの余白

エピソード7
LTTプログラム委員 岩崎泰雄先生

ALSのお姑さんを27年間介護

ALSのお姑さんを27年間介護 私が、世田谷区の神経難病医療班で在宅療養する患者さんを訪問診療し始めたのは1988年。その後世田谷区で在宅療養しているALSの患者さんを10人くらい診療しましたが、患者さんだけでなく、患者さんを介護する家族の方の懸命な姿にもしばしば胸打たれることがありました。
今回ここにご紹介するのは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)のお姑さんを27年間介護して看取ったお嫁さんの姿で、実の親子でもこれほど親身にはなれないと思われるSさんのエピソードです。

新婚2年目にお姑さんが発病

 1971年、Sさんは結婚後すぐにご主人の転勤で東京から名古屋に移り住みました。ご主人のお母さんが、東京の実家と名古屋の間を往復し、名古屋での滞在を楽しむ月日が1年くらいは続いたそうです。
 しかし、結婚して約1年後の1972年、お姑さん自身が「どうも足の具合と言葉の発音がうまくいかない」という自覚症状を覚えるようになりました。病院を何カ所か回った後、東京のT病院に検査入院し、最終的に出された診断結果は「進行性筋萎縮性側索硬化症」。「早くて半年、長くて2年」という主治医の言葉に、Sさんは、早速お姑さんを名古屋に引き取って一緒に住むことを決断します。新婚2年目のことでした。

岩崎先生のコメント

 この患者さんは、最初「進行性筋萎縮性側索硬化症」という診断だったようです。
 運動ニューロンは上位運動ニューロンと下位運動ニューロンとに分けられます。上位運動ニューロンが障害されると、いわゆる錐体路症候といって、痙縮が起きてきます。すなわち、深部腱反射が亢進したり、病的反射が出現します。
 ALSは上位、下位運動ニューロンがともに障害されます。
 下位運動ニューロンのみが障害される疾患が、脊髄性進行性筋萎縮症と呼ばれ、上位運動ニューロンのみが障害される疾患が、原発性側索硬化症と呼ばれています。これらの疾患は、ALSに比べて進行が遅いのが特徴です。

 患者さん本人はもちろん、新婚間もない若いSさんもとても驚かれたことと思います。
 しかし、Sさんは物事を悲観するタイプの方ではなく、目前の事態に対して、自分のできるかぎりのことをしようと考える方なので、即座に一緒に住むことを決断されたのだと思います。

症状は徐々に進行

 名古屋では、足の症状と、発音障害が少し出ている状態でした。新聞に「ガンよりこわい病気」としてALSが掲載されたとき、お姑さんはご自身でこの記事のことを友人にも話していたそうです。そんなお姑さんをSさんは「せっかく老後を楽しもうというときに、気の毒に思った」と述べておられました。
 1975年、再び転勤で東京に戻ったときは、徐々に症状は進行していたものの、まだ自立歩行が可能でした。食事も自分でとることができ、東京のT病院で体と言葉のリハビリに定期的に通院する生活が続きましたが、1987年に大腿骨骨折で2年余り入院。車いすでの退院になってしまいました。

ご主人が転勤で単身赴任された時も一人で介護を担う

ご主人が転勤で単身赴任された時も一人で介護を担う 普段は車いすで移動していても、移乗のときはかろうじて自分で立つこともできたので、努めてデパートに連れ出したり、外出する機会をつくりました。大腿骨骨折した前後から痴呆の症状が進み、尿漏れ後の膀胱内の残尿が500~600ccにもなったので、1991年尿道にカテーテルを入れることになりました。このころには、ほとんど自立歩行は不可能になりましたが、リハビリで病院に通院する際、車いすからの移乗には、まだ自分で立つことだけはできました。口から食事を摂ることも可能でした。
 お姑さんが退院された後、再びご主人が三島に転勤。Sさんは、ご主人不在の6年間を、一人でお姑さんの介護に務められました。

痴呆がさらに進み、気管切開に踏み切る

 1993年ころ、お姑さんが人の顔の見分けがつかなくなり、球麻痺症状が進行して発語障害や嚥下障害が著しくなったため、主治医の先生のすすめで気管切開をして、経管栄養に切り替えることになりました。
 それから7年間、気管切開したので会話こそできなかったけれども、洋服を手作りし、お姑さんと心を通わせて、1999年6月に発熱して入院するまで、Sさんは自宅で毎日介護に務められたのです。
 入院して2カ月後、不幸にして亡くなられました。解剖も行われ、そのときの病理診断は「原発性側索硬化症」ということでした。

岩崎先生のコメント

介護も家事もベストを尽くす
 私が訪問診療ではじめてSさんのお宅を訪れたときの印象は、隅々まで磨き上げられた部屋、手入れがきっちり行き届いた前庭など、とても重症の難病患者さんを抱えているお宅には見えなかったというのが正直な感想です。
 Sさんは、主婦としての自分の役割をきっちり果たすタイプの方で、お姑さんの介護をしたのは当然で、まったく悲観したり、葛藤したりすることがなかったということでした。
 その後、何度か往診しましたが、Sさんの一日の介護スケジュール(表参照)を聞いて、よく体を壊さずに、このハードな介護を一人で担っておられると感心したものです。

Sさんがお姑さんと一緒に過ごした日々のスケジュール

5:30起床
6:00患者さんの検温・血圧測定
6:15~6:30痰をだしやすくするため吸入(10~15分)
6:40~ご主人の朝食準備と経管食の準備
7:00~8:30患者さんに経管食の注入。その間にご主人と自分が朝食を済ませ、ご主人を送り出す。(この間)吸入チューブ23~24本、ピンセット、消毒水容器の煮沸消毒
9:30~患者さんの摘便と清拭、口腔内の洗浄。(患者さんが便秘がちだったので、ほとんど毎日摘便。清拭は石鹸をスポンジにつけて拭いた後、温タオルで2回拭き取り。特にかぶれやすいところは、ドライヤーで乾燥させ、手当をする。歯ブラシにガーゼを巻き、イソジン液をつけて口腔内を洗浄。)
10:30洋服を着せてベッドから車いすに移動。
10:40~日中は一緒に本を読んだり、家事をしながら吸引と経管食の介護。
17:30患者さんを車いすからベッドに戻し、検温、血圧・尿量の測定および吸入。経管食の注入。その後、自分たちの夕食の準備。
23:00就寝
0:30一度目の吸引と体位交換
0:30~約1時間30分ごとに吸引と体位交換 (夜中に約4回)

岩崎先生のコメント

自分の置かれた場所で介護ひとすじに生きる
 毎朝、患者さんを着替えさせて車いすに乗せ、夕方寝る前にまたベッドに戻す―― これだけでも一仕事です。
 そのうえ、毎日の摘便と清拭、経管栄養の準備、1時間半おきの夜中の吸引と体位交換など、ほとんどすべてをSさん一人でこなすのは、大変なご苦労だったと思います。
 私が訪問診療で拝見したSさんの介護の様子は、「まるで自分自身の体をさわるように、お姑さんに接しておられる」ということでした。
 しかし、Sさんは、年に一度のショートステイの際にも、預けているお姑さんが気になって、毎日病院に通っていたそうです。ホームヘルパーさんに来てもらったり、留守番を頼んだこともあるそうですが、逆に心配でストレスになってしまい、どうしても人任せにできない性格だと自分で笑っておられました。

 新婚間もないころから27年間お姑さんの介護に自分の半生を捧げたSさんは、特に立派なことをしたわけではないと謙虚に話されますが、その言葉の端々に一人の立派な女性の生き方と考え方が垣間見えます。

Sさんの言葉

  • 車イスになってから亡くなる直前まで、日中はいつも車イスに座らせていました。寝たきりでは、気分が滅入るでしょうから・・・。首が据わらなくなったらヘッドレストをつけて固定して、経管食を入れていました。
  • 私自身、最近胆石の手術で鼻からチューブを入れてみて初めてわかりました。あのチューブは、うっとうしくて抜きたくなりますね。義母もきっとつらかっただろうと・・・。早く胃瘻にしたほうがよかったかもしれません。
  • 朝から寝るまで一緒で、それが生活の一部と思っていたので、一度も大変と思ったことはありません。
  • 結婚してずっと一緒だったので、どこに行っても本当の親子のように見られました。
    逆に主人のほうが婿養子だと思われていました。
  • きっと姑と気が合ったのだと思います。自分が健康で介護してあげられる状況にあるということ自体が幸せだと思っていました。
  • 人は一人で生きられないですよね。姑の介護をしたおかげで、多くの人と出会えて、いろいろな人の輪ができました。