基礎
運動ニューロンに分化可能な筋萎縮性側索硬化症患者由来の人工多能性幹細胞
Induced pluripotent stem cells generated from patients with ALS can be differentiated into motor neurons
Dimos JT; Rodolfa KT; Niakan KK; Weisenthal LM; Mitsumoto H; Chung W; Croft GF; Saphier G; Leibel R; Goland R; Wichterle H; Henderson CE; Eggan K
Science, 2008, 321, p1218-21.
抄録・解説:LTTプログラム委員 佐々木彰一先生
Dimos JT; Rodolfa KT; Niakan KK; Weisenthal LM; Mitsumoto H; Chung W; Croft GF; Saphier G; Leibel R; Goland R; Wichterle H; Henderson CE; Eggan K
Science, 2008, 321, p1218-21.
抄録・解説:LTTプログラム委員 佐々木彰一先生
要旨
個々の患者から得られた人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cells;iPS 細胞)の生成により、疾患に冒される細胞を大量に産生することができる。さらに、これらのiPS 細胞は疾患モデルの作製、薬物の発見そして最終的には患者自身の細胞を用いての再生療法に有用である。最近の研究では、ヒトの線維芽細胞を再プログラム化することによって多能性の状態にすることが実証されているが、これらのiPS 細胞が慢性疾患を有する年配の患者から直接生成されるかどうかは不明のままである。われわれは82歳の家族性筋萎縮性側索硬化症(familial amyotrophic lateral sclerosis;家族性ALS)の女性患者からiPS 細胞を生成することができた。患者に特異的なこれらiPS 細胞は、胚性幹細胞(embryonic stem cells;ES細胞)の特性を保持しており、ALSで損傷される細胞すなわち運動ニューロンへの分化に成功した。
コメント
iPS細胞とは、体細胞(主に線維芽細胞)へ数種類の遺伝子(転写因子)を導入することにより、ES細胞に似た分化万能性を持たせた細胞のことで、京都大学の山中伸弥教授らのグループによって世界で初めて作られた。iPS細胞(人工多能性幹細胞)は誘導多能性幹細胞とも訳される。元来、生物を構成する種々の細胞に分化し得る分化万能性は、胚盤胞期の胚の一部である内部細胞塊や、そこから培養されたES細胞、およびES細胞と体細胞の融合細胞、一部の生殖細胞由来の培養細胞のみに見られる特殊能力であったが、iPS細胞樹立法の開発により、受精卵やES細胞をまったく使用せずに分化万能細胞を単離培養することが可能となった。分化万能性を持った細胞は理論上、体を構成するすべての組織や臓器に分化誘導することが可能であり、患者自身からヒトiPS細胞を樹立する技術が確立されれば、免疫拒絶反応の起こらない移植用組織や臓器の作製が可能になると期待されている。ヒトES細胞の使用において大きな課題であった倫理的問題を回避できることから、再生医療の実現に向けての注目が集まっている。
本研究では、変異SOD1(L144F)のヘテロ接合体を有する82歳と89歳の白人の家族性ALSの姉妹からiPS細胞の生成が試みられた。82歳の妹は症状の進行が緩徐で、四肢の筋力低下と嚥下障害がみられ、典型的な運動ニューロン疾患の臨床像を示した。一方、89歳の姉は無症状であったが、神経学的所見で腱反射の亢進や両側の伸展型足底反応など上位運動ニューロン徴候がみられ、また、電気生理学的にも上位運動ニューロン障害の所見が得られている。この姉妹は、現在、生存する家族性ALS患者の中では最年長の症例である。
今回、82歳の妹の皮膚の線維芽細胞を用いてiPS細胞の生成に成功したことが示された。患者自身に特異的なiPS細胞は、ヒトES細胞と同じ遺伝子発現を示しており、iPS細胞を用いて患者自身に特異的な運動ニューロンとグリア細胞の生成が可能であった。これらの事実は、たとえ患者が高齢であっても、またALS症状の程度が高度であっても、iPS細胞に必要な線維芽細胞を再プログラム化することにより運動ニューロンを再生させることが可能であることを意味している。ALSの病態は脊髄運動ニューロンの進行性の変性脱落によって特徴づけられるが、最近、ALSの動物モデルの研究から、運動ニューロンの変性には運動ニューロンの周囲の細胞とりわけグリア細胞が重要であることが指摘されている。すなわち、グリア細胞とくに星状膠細胞が運動ニューロンに有害な影響を及ぼしていることが運動ニューロン変性の主病因であることが報告されている。これらの研究は、ALSの再生療法には運動ニューロンのみでなくグリア細胞の生成も重要であることを示唆している。本研究でも運動ニューロンのみならずグリア細胞も同時に生成しているのは、このような背景からである。
この研究により、患者自身の遺伝子をもつ運動ニューロンを大量に生成する可能性が現実味を帯びてきたが、iPS細胞技術を用いた再生治療が臨床に応用される前にいくつか解決されるべき大きな問題がある。第一に、体細胞からiPS細胞への再プログラム化は、多能性因子とがん遺伝子の発現によって可能となるが、iPS細胞が作製される効率の低さとがん化のリスクが、この非常に有効な手法を臨床に応用する際の妨げになっている。iPS細胞を用いた実験では、ES細胞を用いた同様の実験よりも有意に発がんの頻度が高いが、これはiPS細胞を樹立するのに発がん関連遺伝子であるc-Mycを使用している点と、遺伝子導入の際に使用しているレトロウイルスは染色体内のランダムな位置に遺伝子を導入するため、変異が起こり、内在性発がん遺伝子の活性化を引き起こしやすい点が原因と考えられている。多能性幹細胞はc-Mycがなくても誘導することができるが、その効率はかなり低い。したがって、現在さらに、iPS細胞作製の効率を高める手法の開発(たとえば腫瘍形成に関与するp53の抑制や欠損、p53タンパク質の発現量の低下など)や、レトロウイルスを用いないでiPS細胞を作出する手法の開発が多くのグループにより進められている。このようにがん発現遺伝子やレトロウイルスを回避できるような方法が確立されてはじめて臨床応用が可能となる。
第二に、iPS細胞から生成された運動ニューロンはまだ細胞レベルの基礎研究であり、実際に移植した際の機能や組織補完能力についてはいまだ良く分かっていない。また、高度な機能と構造を持った組織や臓器レベルの再生は、実用化に程遠いのが実状である。したがって、患者由来の運動ニューロンやグリア細胞が再生治療に用いられる前に、患者の運動ニューロンやグリア細胞に元来内在している障害あるいは欠陥を見極め、それを補正することが必要である。
神経疾患におけるES細胞の臨床治験に関しては、米国カルフォルニア州のGeron社が急性脊髄損傷の患者にオリゴデンドロサイト(乏突起膠細胞)の前駆細胞を投与する試みがFDAに認可され、2009年の夏から患者の登録が開始されている。これは世界で初めての幹細胞によるヒトでの臨床治験である。また、ALSに関しては、Neuralstem社がインスリン様成長因子(insulin-like growth factor-1;IGF-1)を産生するように組み込まれた神経前駆細胞による再生治療の臨床治験を申請しているが、2009年2月現在まだ認可されていない。これは発がんなどの副作用の点でFDAがヒトでの臨床治験に慎重になっているためと思われる。
最近、中国の研究チームをはじめ、マウスの皮膚細胞から全身の細胞がiPS細胞に由来する生殖能力も備えたマウスの作成に成功したとの報告が相次いでなされており、iPS細胞がES細胞と同等の全能性を持つことが証明され、将来iPS細胞による神経難病患者への再生医療の可能性がますます現実味を増してきている。
また、再生医療への応用のみならず、患者自身の細胞からiPS細胞を作り出し、そのiPS細胞を特定の細胞へ分化誘導することで、従来は採取が困難であった組織の細胞を得ることができ、今まで治療法のなかった難病に対して、その病因・発症メカニズムの解明、あるいは患者自身の細胞を用いて、薬剤の効果・毒性の評価が可能となることから、今までみられなかった全く新しい医学分野を切り開く可能性を秘めていると言える。21世紀はバイオの時代という言葉もあり、今後の発展が極めて期待されている分野でもある。
本研究では、変異SOD1(L144F)のヘテロ接合体を有する82歳と89歳の白人の家族性ALSの姉妹からiPS細胞の生成が試みられた。82歳の妹は症状の進行が緩徐で、四肢の筋力低下と嚥下障害がみられ、典型的な運動ニューロン疾患の臨床像を示した。一方、89歳の姉は無症状であったが、神経学的所見で腱反射の亢進や両側の伸展型足底反応など上位運動ニューロン徴候がみられ、また、電気生理学的にも上位運動ニューロン障害の所見が得られている。この姉妹は、現在、生存する家族性ALS患者の中では最年長の症例である。
今回、82歳の妹の皮膚の線維芽細胞を用いてiPS細胞の生成に成功したことが示された。患者自身に特異的なiPS細胞は、ヒトES細胞と同じ遺伝子発現を示しており、iPS細胞を用いて患者自身に特異的な運動ニューロンとグリア細胞の生成が可能であった。これらの事実は、たとえ患者が高齢であっても、またALS症状の程度が高度であっても、iPS細胞に必要な線維芽細胞を再プログラム化することにより運動ニューロンを再生させることが可能であることを意味している。ALSの病態は脊髄運動ニューロンの進行性の変性脱落によって特徴づけられるが、最近、ALSの動物モデルの研究から、運動ニューロンの変性には運動ニューロンの周囲の細胞とりわけグリア細胞が重要であることが指摘されている。すなわち、グリア細胞とくに星状膠細胞が運動ニューロンに有害な影響を及ぼしていることが運動ニューロン変性の主病因であることが報告されている。これらの研究は、ALSの再生療法には運動ニューロンのみでなくグリア細胞の生成も重要であることを示唆している。本研究でも運動ニューロンのみならずグリア細胞も同時に生成しているのは、このような背景からである。
この研究により、患者自身の遺伝子をもつ運動ニューロンを大量に生成する可能性が現実味を帯びてきたが、iPS細胞技術を用いた再生治療が臨床に応用される前にいくつか解決されるべき大きな問題がある。第一に、体細胞からiPS細胞への再プログラム化は、多能性因子とがん遺伝子の発現によって可能となるが、iPS細胞が作製される効率の低さとがん化のリスクが、この非常に有効な手法を臨床に応用する際の妨げになっている。iPS細胞を用いた実験では、ES細胞を用いた同様の実験よりも有意に発がんの頻度が高いが、これはiPS細胞を樹立するのに発がん関連遺伝子であるc-Mycを使用している点と、遺伝子導入の際に使用しているレトロウイルスは染色体内のランダムな位置に遺伝子を導入するため、変異が起こり、内在性発がん遺伝子の活性化を引き起こしやすい点が原因と考えられている。多能性幹細胞はc-Mycがなくても誘導することができるが、その効率はかなり低い。したがって、現在さらに、iPS細胞作製の効率を高める手法の開発(たとえば腫瘍形成に関与するp53の抑制や欠損、p53タンパク質の発現量の低下など)や、レトロウイルスを用いないでiPS細胞を作出する手法の開発が多くのグループにより進められている。このようにがん発現遺伝子やレトロウイルスを回避できるような方法が確立されてはじめて臨床応用が可能となる。
第二に、iPS細胞から生成された運動ニューロンはまだ細胞レベルの基礎研究であり、実際に移植した際の機能や組織補完能力についてはいまだ良く分かっていない。また、高度な機能と構造を持った組織や臓器レベルの再生は、実用化に程遠いのが実状である。したがって、患者由来の運動ニューロンやグリア細胞が再生治療に用いられる前に、患者の運動ニューロンやグリア細胞に元来内在している障害あるいは欠陥を見極め、それを補正することが必要である。
神経疾患におけるES細胞の臨床治験に関しては、米国カルフォルニア州のGeron社が急性脊髄損傷の患者にオリゴデンドロサイト(乏突起膠細胞)の前駆細胞を投与する試みがFDAに認可され、2009年の夏から患者の登録が開始されている。これは世界で初めての幹細胞によるヒトでの臨床治験である。また、ALSに関しては、Neuralstem社がインスリン様成長因子(insulin-like growth factor-1;IGF-1)を産生するように組み込まれた神経前駆細胞による再生治療の臨床治験を申請しているが、2009年2月現在まだ認可されていない。これは発がんなどの副作用の点でFDAがヒトでの臨床治験に慎重になっているためと思われる。
最近、中国の研究チームをはじめ、マウスの皮膚細胞から全身の細胞がiPS細胞に由来する生殖能力も備えたマウスの作成に成功したとの報告が相次いでなされており、iPS細胞がES細胞と同等の全能性を持つことが証明され、将来iPS細胞による神経難病患者への再生医療の可能性がますます現実味を増してきている。
また、再生医療への応用のみならず、患者自身の細胞からiPS細胞を作り出し、そのiPS細胞を特定の細胞へ分化誘導することで、従来は採取が困難であった組織の細胞を得ることができ、今まで治療法のなかった難病に対して、その病因・発症メカニズムの解明、あるいは患者自身の細胞を用いて、薬剤の効果・毒性の評価が可能となることから、今までみられなかった全く新しい医学分野を切り開く可能性を秘めていると言える。21世紀はバイオの時代という言葉もあり、今後の発展が極めて期待されている分野でもある。


