ALS/MND 国際シンポジウム

第10回 −カナダ− バンクーバー

SESSION7D Models of Care and Integrated Care Pathways

演者: L. I. Boynton De Sepulveda
ALS Clinic and Research Center at UCLA, USA

演題 (1) ケアモデル及びケアの包括的方針

この演題は、The National Neuromuscular Nurses Advisory Board によって選ばれた ALS 専門の 8 人の看護婦による 8 つのトピックスに亘る研究結果をまとめたもので、Ms. Boynton が代表して発表を行った。1874 年、シャルコーによって ALS が初めて報告され、1888 年の時点ではわずか 20 人の患者を数えるのみであった。それから現在まで科学の進歩や疾病に対する知識の深まり、医学、診断学の発達等に伴い、患者のケアにおける看護術も大きく変化してきた。
1900 年初頭、歴史上初の EMG 機器が開発されたが、実際に医療の現場で広く使用されたのは 40 年後であり、治療上の効果、実績を見るのはそれからさらに 20 年を経てからであった。
1800 年代にはすでに科学者たちは、顕微鏡による観察から ALS 患者の神経細胞は正常細胞と異なっていることを見出している。さらに1900 年代には、神経細胞がトランスミッターを介して情報伝達を行っていることをつきとめている。1970 年頃より生化学が発達しはじめ、神経内科学的な研究が急速に進むが、現在に至ってもなお、ALS の病理学的原因は不明である。
その治療の歴史は、1800 年代は、‘No medicine is better than science.’という言葉に代表されるように、科学、医学ともに未発達でシャルコー自身、ALS に対する治療法は全く皆無であると言っている。1940 年代にアメリカ、ニューヨークヤンキースの野球選手ルー・ゲーリックがこの病気にかかったため一躍医学界の注目を浴びることとなり、この頃から、多くの臨床的研究が行われるようになってきている。そして1990 年代に入り、臨床的研究は飛躍的に増加し、ALS に対する初の治療薬も登場してきた。
看護ケアは、1800 年代即ちナイチンゲールがクリミア戦争終結に伴いイギリスへ帰国した当時であるが、看護婦の提供するケアとは十分な栄養摂取、清潔を保つこと、及び新鮮な空気、といったものであった。看護教育というものは全く存在せず、正式なトレーニングシステムの登場は 1890 年代まで待たなければならなかった。1900 年代初頭に鼻から栄養を補給するためのチューブが開発されたが、長期にわたる使用は 1950 年代まで行われず、特にALS 患者には 1970 年代まで長期の使用が行われなかった。1930 年代に初の人工呼吸器が開発されるが、1970 年代まで外来患者にはその使用が認められなかった。ALS 患者に至っては、1980 年代後期まで人工呼吸器の使用はなされていなかった。時代の変化とともに、看護婦の役割も comfort giver (癒しを与える人)から患者のケアとQOL向上を担う立場へと変化してきている。
1800 年代は、病院は“死の場所”と考えられており、患者は病院にくるのを拒んでいたが、現在では、一般の病院のほかに診療所や療養所等様々な医療施設が存在している。また、30 年前の国民の医療費の総額は GNP の 5.3 % であったのに対し、1960 年は 8.3%、1991 年には13.2% と年々増加しており、政府や保険会社等が医療におけるサービスや質を削減しようとしている。このことは、どこで、誰によって、どんな環境において治療がなされるのか、といったことに影響を及ぼす。従って多くの医療関係者は、提供するケアの質の維持とマネジメントケアとのバランスをとるために葛藤しているのが現状である。このような観点からケアの方針の構築が必要とされた。これは、患者看護のプロセスを強化した上で、治療に携わる各専門家間のコミュニケーションを円滑にし、患者及びその家族の教育を行い、治療におけるどの分野がもっと研究されるべきかを示すものである。その開発のプロセスを以下に示す。
 1. 概念の定義
 2. 方法の決定
 3. 対象とする人々の決定
 4. 手法及び時間の決定
 5. 診断
Ms. Boyntonは結論として、看護婦をはじめとするあらゆる医療関係者がさらなる努力を続けていけば、10 年後はこの 10 倍の進歩が見られるはずであると述べた。